聖の青春 - 大崎善生 - 小説・無料試し読みなら、電子書籍・コミックストア ブックライブ
重い腎臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子のために、師匠は彼のパンツをも洗った。弟子の名前は村山聖(さとし)。享年29。将棋界の最高峰A級に在籍したままの逝去だった。名人への夢半ばで倒れた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動ノンフィクション。第13回新潮学芸賞受賞作(講談社文庫)
難病ネフローゼのため、29歳の若さで逝った実在の棋士、村山聖(さとし)の生涯を描いた伝記的小説。 松山ケンイチ主演で映画化もされました。 5歳でネフローゼを発病してから常に死と隣合わせでありながら、羽生善治、谷川浩司を倒して名人になりたいと、命がけで将棋に打ち込んだ聖(さとし)。 「勝たなければ意味がない」と勝ちに拘った聖(さとし)が本当に勝ちたかった相手は、羽生でも谷川でもなく、病だったと思います。 そして、病に勝てる筈がなかった。 この作品を読みながら、「生きるとは何か」を考えずにはいられませんでした。 そして、私なりに考え、 「生きる」とは「夢を持つ」ことではないかと結論に至りました。 夢と言っても、 「世界的な大作家になりたい」などという人生の大目標のような夢ばかりではなく、 素敵なお洋服を着ておしゃれしたいとか、 新しく出来たレストランでお食事したいとか、 旅行したいとか、推し活とか、 我が子の成長とか、 そんなどこにでもに溢れている夢。 聖(さとし)も、 「名人になりたい」という、 執着にも似た夢の他、 北海道に行って自分の目で雪を見たい、 本を読みたい、少女漫画を読みたい、 牛丼は吉野家でなければ絶対ダメ、 という、小さな「夢」がいくつもあり、 ネフローゼでありながら決して諦めなかったのです。 夢を失くすということは、「生きている」のではなく、「死んではいない」ということではないのか。 聖の29年という短くも激しく濃密な人生を読み終え、そんなことを考えました。 映画は公開時に観ており、暗いテイストでしたが、原作を読むと村山聖は、病気ではあったけども家族や友人と深い絆で結ばれており、みんなに愛された幸せな人だったのではないかと思います。 将棋が好きでない人にとっては読みづらい内容かもしれませんが、多くの人に手にしていただきたい1冊です。